感謝と幸福
あなたは、日常を感謝していますか。日常の中に起こって来る「すべての事について」感謝していますか。「いつでも」感謝していますか。幸福度は、物の豊かさや幸運亊によるのではありません。それは感謝の度合いに比例するのです。
感謝できない理由
そうは頭でわかっていても、自分の都合のよい事については感謝できても、自分に不利益なことが起こって来るとなかなか感謝できず、つい不平、不満や怒りの言葉が出てきてしまう。そう言われる方々も多いでしょう。
感謝できない理由には、いくつかあると思います。その第一は、欲望です。人間はあさましいもので、その欲望は際限がありません。一つが満たされると、さらに欲望が増幅します。聖書は人が争う原因は「欲」だと言います。欲がはらんで罪を生み罪が熟して死を生み出すのです(ヤコブ1:14-14,4:1-2)。
その第二は、比較意識です。他人と比較して自分の方がよければ優越感に浸りますが、自分よりよい生活をしている友だちなどと比べるなら、自分が不幸に見えて感謝できないのです。車が買えなかった人が軽自動車でも買えれば、上機嫌ですが、友だちが高級車に乗っていれば、なんで自分は軽なんだと、感謝はどこかに飛んでつぶやきが始まるのです。
さらに感謝できない第三の理由は、「心配」です。明日のことが心配で、それに支配されて今を感謝できないのです。「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:34)とイエスは言われました。
旧約のイスラエルの民はこれらの欲望、比較意識や心配に負けて、つぶやき、滅びを刈り取りました(民11:4-6,13:31-33)。
感謝のレベル
どうしたら、実際、感謝できるのでしょうか。まず、小さな良かったことから感謝しましょう。意識的にそれを取り上げて感謝するのです。これを仮にレベル1とします。このレベルの感謝なら実行できるでしょう。
第二のレベルの感謝は、一般的な神の恵みを覚え感謝し、また、特別なイエス・キリストの恵みを覚え感謝することです。例えば、朝起きたら、きょう生かされていることを神に感謝する。日々の食事を感謝する。空気や水、日差しなどの自然の恵みを感謝する。健康で働けることを感謝するなどです。またキリストが成し遂げてくださった十字架による贖いの恵みを感謝し、信じて救われ神の子とされたことを感謝するなどです。
第三のレベルの感謝は、困難や苦しみ迫害や悲しみなどが起こっても感謝する。“…にもかかわらず”感謝するレベルです。死ぬほどの苦しみの中でも、ヨブはゼロになっても感謝しました。ダニエルは、王以外の者に頼むなら獅子の穴に投げ込まれるとの禁令が発せられても、いつものように日に三度祈り神に「感謝した」のです(ダニエル6:10)。イエスもご自身の十字架の死を目前に「感謝」を捧げました(マタイ26:27)。
できるレベルから感謝を実行し、感謝を習慣化しましょう。必ずその力を体験します。
≪黙想と適用≫
感謝の力をどのように体験していますか?