敬老の日
日本では明日が「敬老の日」ですね。聖書にも「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」(レビ19:32)と書かれていますから、老人を敬うことは神のみ心であり、神のご命令です。また聖書では長寿は神の祝福ですから、父母など両親を敬い、老人を祝福するなら、私たちの齢も祝福され長くなるのです(出20:12)。
しかし、長寿の祝福にもまさって大きな祝福は、永遠のいのちと神の国・天国の希望をもって生きることです。
新しく生まれなければ
きょうの聖書テキストに登場するニコデモという人物は、神に祝福された希望の人生を送ることができたでしょうか。
彼は、恵まれた立場の人物に見えます。彼はユダヤのパリサイ派の教師であり、ユダヤの最高議会の議員であり民の指導者でした。厳格に神の戒めを守り、ユダヤの教師として人望もあり金持でもあったようです。しかも、イエスの行うしるし・奇跡を見て、イエスが神から来られた教師であることを認めていました。彼は自他ともに尊敬に値する人物でした。しかし、このニコデモに対してイエスは単刀直入に最も重要なことを言われたのです。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
イエスの言われる新しく生まれるとは、どういうことでしょうか。それは肉体的な誕生のことではなく霊的な誕生のことです。「新しく」と訳される原語は本来「上から(神から)」生まれるという意味です。イエスはそれを「水と御霊によって生まれる」と言い換えています。「水」によってとは、罪を悔い改め洗礼を受けることを意味します(徒2:38)。「御霊」によってとは、イエスを信じる信仰により神の霊が信仰者を全く新しく造り変えること(新生・新創造)を意味します(Ⅱコリント5:17,Ⅰコリント12:13)。それ
は信じるあなたにも起こることです。
≪黙想と適用≫
新生したことが、どうしてわかりますか?