あなたの郷里は?
“ふるさとは 遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの” これは明治から昭和にかけて生きた室生犀星の詩です。妾の子として生まれ育ったふるさと北陸金沢へのあこがれと悲しみが同時にうたわれています。
あなたのふるさとはどこですか?私は浜松生まれの浜松育ちですから、名古屋―東京外国と移り住みましたが、やはりいつも思うのは郷里浜松のことでした。特に、神学校を卒業して四年間米国に留学して苦学を積んでいる中で、ロスアンゼルス上空を行き交う飛行機を見上げながら、いつになったらまた祖国・郷里に帰れるのだろうかと思ったりもしました。米国の教会の方々や友人との交わりもあり苦学の中でも楽しいことも多かったですが、遠き地にあると、やはりふるさとは特別に“思うもの”です。
イスラエルの望郷
紀元前586年、ユダ王国に住むイスラエルの民は、バビロン王ネブカデレザルによってその国を滅ぼされ、捕囚の民としてバビロンに連れ去られました。土地も家も財も奪わ れ、彼らは流浪の民・敵の捕虜となったのです。それは主なる神から離れ、律法に逆らって偶像礼拝を重ねた罪の結果でした。異国の地バビロンの川のほとりで、人々は彼らをあざけって興を求め、竪琴を奏でイスラエルの歌を歌えと言います。彼らは「そこですわり、シオン(ユダ王国の首都エルサレム)を思い出して泣いた」(詩篇137:1)のです。「異国の地にあって主の歌を歌えようか」(同4)と彼らは言います。彼らはふるさとを流浪の異国の地から思い、嘆き悲しみます。
帰郷の喜び
そのような嘆きと悲しみの淵にある捕囚の民に対し、イザヤは希望の預言を告知します。やがて主のしもべ・メシア(救い主)が来られ、神の国・神の救いの時が訪れると。そのとき荒野や砂漠も喜び、そこは湧水にあふれ、花々は喜び咲き誇るのだと。メシアの到来によって心身の目と耳が開けられ、足の不自由な者も癒され飛び跳ねる(マタイ11:5)と。そして、シオンに至る「大路」「聖なる道」が開かれ、「主に贖われた者たち(メシアによって罪をゆるされ捕囚から解放された者たち)」がその安全・安心の道を通ってシオン(神の都・エルサレム)に帰っていくのだ。彼らは「喜びながらシオンに入り、」その頭にはとこしえの喜びの花輪を戴き「楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る」のです。このようにイザヤは帰郷の歓喜を歌い上げています。
この預言詩は、まずBC539年のペルシャ王クロスのエルサレム神殿再建の勅令による帰郷と515年の神殿の完成において成就し、またキリストによる神の国の到来によって完全に成就します。十字架の血によって贖われた神の民の心にいのちの水が湧き、喜びの花々が咲き誇るのです。シャロンのばらは聖霊降臨を通して今や世界に満ちています。
≪黙想と適用≫
永遠のふるさとはどこ?(へブル11:16)